プランニングにこそ時間をかけて欲しい
単に家のプランを描くという作業なら、施主様のご要望を1〜2回聞き取るだけでも描けます。「LDKは何畳くらいほしい」とか、「個室は何部屋必要」とか。
でも、LwSでは、ご家族の本当の想いや理想に触れようとすることが大切だと考えています。施主様の言葉の「後ろにある真意」は何か…。例えば「和室が欲しい」という言葉の後ろには、「ごろ寝がしたいから」とか、「遠くに住む両親を呼びたいから」とか、「寝たきりのおじいさんの介抱に不可欠だから」とか、さまざまな事情がある訳で、その真の事情次第では、和室の作り方も違ったり、そもそも和室を作る以外の最適解があるかも知れないのです。
もっと言えば、施主様ご自身が気付いていないような暮らしの中の価値を、施主様になりきってアイデアを巡らせたり…というのも、LwSでは当たり前。それらの根本にあるのは、結局、ありきたりですが、「思いやり」なのかも知れません。私たちLwSが手がける以上は、施主様には一生、その家を気に入ってほしいですし、心からの笑顔がみたいですし、一つの後悔だってして欲しくないのです。
何年かかっても大丈夫です(笑)!
だから、これから家を建てようという今こそ施主様には、理想像を深く掘り下げてみてほしいのです。私たちにその理想像を共有させてほしいのです。「施主様になりきる」…というのはおこがましいですが、施主様の言葉に耳を傾け、その真意を探り出し、本当に施主様と想いを共有しようとすれば、何十回でも打合せをしたいし、本当に施主様が心から大切にしたい最高の家創りを実現できるなら、2年かけても3年かけても、もし施主様が大丈夫なら10年かけたって良いと思っています。家創りは時間をかけるほど良いアイデアが湧いてきたりするものです。実際にこれまでも多くの施主様がプランニングに何年もかけて取組み、理想の家創りを実現して来られました。数年間も苦楽を共にした施主様ご家族とLwSは、お互いに何の遠慮もない半ば親戚のような関係になったりします。LwSが随時開催するオープンハウス等のイベントには、LwSとの家創りを経験されたOBの施主様も多数ご参加下さったりしますので、前述のような話が真実なのか、OBの施主様の体験談をお聞きになるのも、良い経験かも知れません。
たっぷり時間をかけてプランニングする上で、施主様には想いをいっぱいに理想を膨らませて頂き、私たちに存分にその想いをぶつけてほしいと思います。想いを共有する度に私たちはプランを何度でも描き直します。それは施主様だけのためのプラン。どうかじっくり眺めて、想像力を膨らませて下さい。「こうしたらもっと良いかも!」とか、「この部屋もっと小さくても良いかな…」など、ご家族で議論しながら理想像を固めていってほしいと思います。施主様にとって「一生の家」をプランするということは、一生の中でも最高に贅沢な時間…思い描いた夢の暮らしを、現実のものにしていく作業です。家創りという贅沢な時間を通じて、ご家族でたくさん話をして下さい。普段なら家族内でお互いの思いを語り合うのは照れ臭くても、一緒に「家を創る」という作業を共にする中で、自ずとその絆も深まっていくのではないかな…そう感じます。
皆さんの想いを聞かせて下さい。一緒にあなたにとって最高の家を創りましょう。そして、その過程を、ご家族にとって最高の思い出にして頂けたなら、嬉しいです。
COLUMN
プランニング
「あるべきよう」が多彩さを生む
時代とともに暮らし方が変遷してきたのに合わせて、日本の住宅のあり方も変遷してきた訳だが、その中でも最も劇的な変化が、近代以降に起こった「日本人の西洋化」であり、それが現在も進行している途上だ。日本人の暮らしは西洋の様式に影響を受け、少しずつ取り入れてきたが、20世紀、特に戦後の高度経済成長期に一気に進んだ。この間、人々が経済的に豊かになっていく中で暮らし方のニーズは劇的に多様化し、住宅のあり方も日に日に多様化してきている。人々が自由に個性を発揮できる現代社会の姿が、住宅の姿にも反映されているのだと思う。暮らしのあり方は十人十色。人の数だけ暮らし方はあるのだから、これからの住宅建築が、より自由により個性的に、多様化していくことは自然なことだと思う。
そんな流れを意識していた訳では全くなかったが、私たちは設立以来ずっと、どこまでも自由な「真の注文住宅」を志向して来た。私たちの目指す家創りは、出会ったご家族それぞれの個性に合わせて、千差万別。時間の制約も無ければ、打ち合わせ回数に制限も無い。どれだけ間取り創りに時間をかけて、いくら図面を描き直しても構わない…というか、そういうことが自由であることが、私は当たり前だと思っている。
私の目から見ると、この国では「家創り」が、どこか家電製品や自動車を買うのと変わらない感覚で、高額な「出来上がった商品(又は規格の決まった商品)」のように扱われていることに、強い違和感を覚える。一生を過ごす家が、自分の「作品」であるという事実が、人生をより豊かにすると信じているから、せっかくの家創りを”簡単に”済ませてしまうのはとても勿体無いことだと思う。家のあり方が、暮らしのあり方を決め、習慣、考え方に影響を与え、人格が形作られる上でどれほど影響を与え得るか、計り知れない。最高の家創りとその思い出は、家族の人生までも輝かせる力があるものだと思う。
京都北白川に約90年前に、キリスト教伝道者の建築家ヴォーリズの設計で建てられた駒井家住宅がある。この邸宅は現在文化財として保護され、一般にも公開されているから、私も何度となく足を運ぶ最も好きな住宅の1つだ。ヴォーリズは駒井家住宅(P23掲載)のような住宅に限らず、病院や学校、デパートといった大型の建築も多数手がけているが、ヴォーリズの真骨頂は何と言っても住宅だと思う。ある時、本の中で見つけたヴォーリズ自身が語ったという言葉に衝撃を受けたことがある。住宅を手がける上で私の個人的な理想は、その建築物の「あるべきよう」にこだわること。その建築物の存在意義を突き詰めることが、間取りや装飾デザインの発想の原点となる訳だが、ヴォーリズの語る言葉の中に、おこがましいが同じ理想を見た気がしたのだ。
「建築は建築の種類がいかなるものであっても、設計の本質は何ら変わらないのです。
何の為にその建物が存在するのか、誰の為に必要な建築であるか、を考えることによって、私は、医師にもなり、商人にも、職人にも、いや、鳥にだってなることができると、思っています」
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
世界に一つだけの家を目指して
ヴォーリズの建築作品は、実に多様だ。用途が様々に及ぶからというより、彼が手がけた住宅だけを見渡しても、デザインや様式は、実に多彩なものがある。どこか「ヴォーリズっぽい」部分はもちろんあるのかも知れないが、とても同一人物の設計とは思えないくらい幅広い表現が見られるのだ。これは想像だが、ヴォーリズは設計する上で、自身の好みや美意識を押し付けるのでなく、「クライアントの想い」をより大切にしてその建物に色濃く反映させたからではないかと思う。と言うより、ヴォーリズ自身の言葉から想像すれば、その都度クライアントに成りきっていたのかも知れない。だから、ヴォーリズらしさよりも、その住宅に暮らすクライアントらしさが、色濃く現れているのだろう。
そして、そんな家創りの姿勢こそが、私自身が目指す道だ。そこに暮らす人の個性を強く反映した、世界に一つだけの家を、創り続けたいものだ。
良好な空気環境
丈夫な木の住まい
個性あふれる
デザイン性
